大学入ったときは、お互い何者でもなかった。
ただ、最初から目標は一貫していた。
その目標に対して、常に行動し続けていた。
余裕なんてなかった。
たまに会っていたけれど、どんな時も常になにかに追われていた。
会う度、ってのは言い過ぎだけど、どんどん活躍のステージは変わっていた。
周りから求められているレベルも、量も、見た感じではあるけれど、すごかった。
たびたび色んなお話聞いたり相談乗ったりしたけれど。
気づいたら、でもないね、着実に、どんどん、有名になっていって。
なんだかんだで今に至るわけだ。
見えるところで言えば、なんだかんだで、その人に100万以上、消えていったわけだ。
数秒で10万が消えていく姿を見ると、ただ驚くことしか出来なかった。
その人に使っていいと、判断した人がそれだけいたわけだ。
すごいことだと思う。
これだけそれが見える化するのはちょっと怖いけれど。
それが現実。
もう、あの頃のままではないのだ。
大学入ったときは何者でもなかったけれど。
こちらはまだ何者でもないけれど。
同じ時間を過ごしていたはずだけれど。
もう、何者でもないなんて段階は、当に過ぎていた。
なんか、自分の中で思ったこと。
言葉にできるかはわからないけれど、自信はないけれど。
目標、やりたいことの本質を間違えてはいけないな、と。
物事って付加価値で判断しがちではないですか?
なにかになりたいとき。
なにかをしたいとき。
本質がそこにあるわけで、なりたい、したいことが本質なら、いいと思うのだが。
本質じゃない、付加価値で判断しがちではないですか。
忙しくなりたい、かっこよさそう、とか。
お金たくさんもらえそうとか。
なんか、うまく言葉に出来ないけれど。
ここまでに至ったのは、別にここを目指したからではない。
いま現時点もただの通過点。
ここまでの一連の流れ、それを目指して行動してきたわけではないだろう。
本質のためにがむしゃらに、行動してきたら、
結果こうなったわけだ。
なんか、本当にやりたいこととかから目を背けて、付加価値に目を向けてみて、
そこでなにかを判断した気になって、それで済ましてる気がする。
しかも、付加価値で判断したことって、結局付加価値でしかないから、
なんだか微妙。
うまくいかない気配。
なんか、もやもやしている。
将来のしごととかやりたいこととかきめるときとかなのかな、
本質から逃げてはいけないのかなと。
本質を目指し、その途中で、様々なことが起きるわけで、
その様々なことを目指すためになにかを目指すのはよくわからんなーと。
本質ただそれだけを目指し、必死に生きて、
その結果、色々なことが起きるのだ。
色んな人が語るいろんなことも、それを目指していたのではないのだ。
結果それが起きたのだ。
本質から、逃げるな。
全く言いたいことが伝わらないブログでしたね。
自分もわかりません。
みなさん一緒に考えましょう。
最後に。
応援ばっかしてないでお前も頑張れよって話ですね
— Motoki Watanabe (@XxGodmoonxX) 2017年3月27日
ずっと応援してきたけれど。
何者でもないし必死に応援することしかできなかったけれど。
それはそれで、いい点ではあるのかもしれないけれど。
応援してばっかいないで、お前も頑張れよってことなんですよね。
以上、そこそこ近くからここ2ヶ月くらい?もっと?応援してきての感想。
こっちだって、がんばる、からな。